「さかな通」

「玄さんが、魚を語る、捌く、味わう」

(まどか出版刊)

長谷川玄太・著/小暮満寿雄・絵


4刷まで増刷、好評発売中!

「医食同源」の語り部・イダテンのゲンさんこと、
築地40年の長谷川玄太氏が江戸便で軽妙に語る「さかなのウンチク」。

長谷川玄太氏は、エビ太郎を企業キャラクターとする
小暮のクライアント、食材仕入ドットコムさんの
商品選定顧問・・・ということになっていますが、
実は『医食同源』を執筆する時の小暮のペンネーム。
まあ、詳しいことはちょいと、
ややこしいもんで真っ平御免なすっておくんなせえ。

ともかくも、今や日本最大級の食のサイトとなった
食材仕入ドットコムさんのサイトに
好評連載中の「医食同源」とマンガ「スイサンドンヤ・エビ太郎」が
合体して1册の本が出来上がりました!

もー結構! 
というくらい聞かせ倒す、魚屋さんのウンチク。
これは一家に一冊ですぞよ!

本文紹介

マグロ大好き!
 これでマグロほど日本人に愛され、また旨いサカナはなかなか見当たるモンじゃない。なにしろ日本人ってヤツは、1年で60万t以上ものマグロを胃袋の中におさめちまうんだから、あきれかえったマグロ食いだ。
 またまた貝塚の話になっちまうが、マグロは縄文時代〜弥生時代にも食べらていたのは判るよな。ま、海に囲まれた日本において古くからマグロを食べていたなんて、当たり前って言えば当たり前の話だがね。いちばん古いもので、5000年前(岩手県・太陽台貝塚)にはマグロが食べられていたことがわかっている。

なんとマグロは下魚だった?
 だが江戸時代初期までマグロは味の良くない魚とされていたんだ。刺身で食べるのに人気があったのは、タイやヒラメのような白身魚で、マグロのような赤身魚は鮮度が落ちやすく、下魚とされていたんだ。これは、捕獲方法が確立されてなかった上、保存方法がわるかった時代には仕方ないことだ。
「まぐろ売り安いものさとナタを出し」
 江戸時代のこんな川柳が、いかにマグロが安かったかを伺わせるな。
 江戸後期・文政(1818〜30年)の医師、曳尾庵南竹(ひきおあんなんちく)は、その随筆の中でマグロの大漁をこう記している。
「豊漁なのは良いが、あまりに採れすぎたため下肥えにするほかは、引き取り手はなし。 頭などは往来に捨ておくが、山のごとく積み上がり、そのおびただしさと臭いには、犬も恐ろしがって近寄らぬありさま。 日増(ひまし)のマグロは猛毒とも言われ、下々の人間でも口にしない者も多く、日本橋魚河岸にても、あまりの大漁はことのほか迷惑とのこと」
 これを読むと、採れ過ぎたマグロさんは、本当に肥料にするしかなかったんだろう。まったくもったいない話だが、保存方法がなかった昔は仕方なかったんだな。
 ただこの記事を読む限り、マグロが下魚とはされながらも庶民の口に入っていたことは間違いないようだ。「日増のマグロには毒がある」というのは、カツオの毒と同様、昔は腐りかけたマグロで食中毒にあった人がいるということだが、それは逆の意味でかえせば、けっこう食べる人がいたということだ。
 サンマやイワシ、サバやコハダが下魚といわれながらよく食べられていたように、マグロも同様で、落語の熊さん八っつあんの酒の肴として食されていたのかもしれない。

江戸前寿司でマグロがブレイク!
 それが江戸後期にあたる文化・文政のころ(1802〜30年)に、江戸のファストフード「握り寿司」が登場する。当時の寿司といえば上方風の押し寿司だった。花屋與兵衛(はなやよへい)という人物の考案によって、江戸前の握り寿司が爆発的に大流行したのさ。
 目の前でパッと握ってサッと食べるノ江戸前寿司は、気が短くって新しモン好きだった江戸っ子の気質をグッっと惹きつけた。
 この時、江戸前の握り寿司のネタとして登場したのが、マグロを「ヅケ」で食べる方法だ。鮮度落ちを防ぐため、 赤身などを醤油に漬け込んで、寿司飯の上にのせて食べるレシピだな。ちょっとした工夫だが、保存もきく上、味もすこぶる美味だったんで、この「ヅケ」は江戸っ子の間で大評判になり、マグロは徐々に高級魚になっていったんだな。

マグロの握りは「天保の改革」が生んだ?
 もっともマグロの握り寿司が登場したのは江戸後期、老中・水野忠邦、鳥居耀蔵(とりいようぞう)らによる「天保の改革」がはじまった頃だと言われている。
ご存じの通り、天保の改革というのは徹底した倹約令だ。
 ぜいたくを禁止し、物価値下げを断行するというノ今で言えばデフレを推奨する、とんでもない改革政治だったもんで、結果的には失敗に終わったことで知 られている。
経済的には失政だった天保の改革だが、それがマグロの握りを生み出した一因になったと、あっしは個人的に思っている。
 なぜかって?
 そりゃあ、当時マグロは下魚だったからさ。
 この時代、マグロの大漁が何度かあったらしく、魚河岸をはじめ、江戸中にマグロが溢れかえったそうだ。高級魚のタイやヒラメを食べたりすれば、「ぜいたくはまかりならん!」と、お上の目のうるさいところだが、下司ザカナのマグロなら、いくら食べても文句言われなかったってワケさ。
 それをビジネスチャンスにした店が、日本橋は馬喰町(ばくろちょう)にあった恵比須ずしというお寿司屋だったんだな。この店がはじめてマグロを寿司ネ タとして扱ったノそれが寿司屋仲間では通説になっている。
「天保の改革」に加え、マグロのランクが当時は低かったことノマグロの握りが登場するには、そんな時代背景があったと、あっしは勝手に考えている。

トロの「ネコまたぎ」
 さて有名な話だが、今では高級素材のトロだって、昭和初期までは捨てられていたんだ。当時の市場じゃ「ネコまたぎ」なんて、見向きもされなかった食材なんだよ。魚の部位でいえばアラにあたるわけだな。 また当時の保存方法が今ほどではなかったことに加え、トロの脂っこい舌触りが当時の日本人には合わなかったのかもしれない。
 ところが、ある日築地でバイトしていた苦学生たちに「どうせ捨てちまうものだから」と、持ち帰らせたところ、これが大評判! たちまち人気が出てきたなんてエピソードがある。
 それまでトロは「しもふり」とか「だんだら」「ズルズル」などと呼ばれていたんだが、寿司を食いにきていた三井物産の人が、「それじゃあどうにも符丁がわるい。なんかいい呼び名はないかい?」「口の中に入れたら『トロッ』とトロけるから『トロ』にしようや」ってんで、今の呼び名になったってわけさ。
 まあ戦後、欧米形の肉中心の食生活が導入されたため、淡白な赤身より、濃厚なトロが好まれるようになったのがいちばん大きな理由だろうよ。

冷凍マグロの善し悪しは?
 水揚げされたマグロは、マイナス60℃という超低温で急速冷凍される。瞬間冷凍と言いたいトコだが、なんせ100〜200kgのマグロの漁体だとそうはいかない。約35時間もの間冷やしつづけ、やっと魚体の芯まで凍結させるんだ。
 細胞の中に含まれている水分はこうして細かく細かく凍結するのさ。生きている時に近い状態で凍らせるわけだな。マイナス60℃で処理されたマグロは、市場に出されて解凍されてから死後硬直がはじまるくらいなんだ。
 反対に細胞内にある水分の結晶が大きいほど、肉質は変化する。解凍した時にドリップと呼ばれる肉汁が出るのも、その時さ。大きな水分結晶が溶ける時、水分と一緒に肉の旨味までもっていってしまうわけだな。この辺が冷凍マグロの善し悪しを見分けるポイントになるって寸法さ。

マグロのメト化って何?
 マイナス60℃凍結には2年間も色が変わらず保存できるというメリットがある。
 切ったばかりのマグロの断面は、暗い赤紫色をしている。これはマグロの筋肉色素ミオグロビンが、空気にふれていない時の色だ。
 しばらく時間がたつと酸素とミオグロビンが結合し、鮮やかな赤に変化する。これが一番マグロが美味しく見える色だ。
 これを過ぎると、オキシ・キオグロビンはメト・ミオグロビンに変化し、身の色が褐色になってしまうんだ。これを俗にメト化というんだ。メト化はマイナス35℃くらいを境にグッと低下する。 冷凍温度がマイナス20℃程度だと、冷凍保存している間にメト化が進み、色がわるくなることが、ままあるんだね。
 気をつけてほしいのは、家庭の冷蔵庫だといいとこマイナス20℃くらいのもんだ。コチコシニ固まったものは、冷凍だからって安心しないで10日くらいで食べてほしいもんだ。

マグロは体にいいぜ!
 何といってもマグロってえのは究極の健康食品だと、あっしは思っている。
 なにしろマグロは良質のタンパク質だし、マグロの赤い色は、血や筋肉に含まれるヘモグロビンとミオグロビンで、鉄分タップリだ。これはヘム鉄という、吸収されやすい鉄分で、女性の貧血には最適なんだぜ。
 そして注目はEPAとDHA。EPAは悪玉コレステロールを下げるといわれているし、DHA は脳の中以外には水産物にしか含まれていない物質で、まあ頭の働きを良くするといわれて注目されてきている。
 実際に昔から漁村には長生きが多い。魚を食べると心臓病や脳硬塞になりにくいというのも、あながち根拠のないことじゃないだろうな。

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