映画『パリ・ルーヴル美術館の秘密』

昨年2003年12月6日(土)に、
世田谷美術館で学芸員の方とトークショーをいたしました。
昨年12月20日より、渋谷のユーロスペースで公開され、
劇場として大ヒットを記録した
映画「パリ・ルーヴル美術館の秘密」の先行試写会の前に行うもので、
この仕事は拙著「堪能ルーヴル」から依頼があったものです。

実に洒脱で機智に溢れ、しかも真面目に作られた一本!
特に、最近のハリウッド超大作に飽きている方にはオススメです。
絵画のコメントはありませんが、
普段、絶対に見られないルーヴル美術館の舞台裏の様子は、
見る者の知的好奇心を満足させてやまないでしょう。

詳細は配給会社セテラ・インターナショナルさんに
アクセスしてみてください。

同日12月6日(土)、東京新聞の朝刊には私の書いた論評が掲載されました。
以下はその全文です。


 映画のファーストシーン。
 巨大な絵画……おそらくはスペインバロックの作品だろうか。それは、まるで焼津港で水揚げされるマグロのようにクレーンで引き上げられ、大勢のスタッフが細心の注意を払いながら、それを館内へと運び込んで行く。
 絵画や彫刻は『動かないもの』というのが私たちの常識だが、この映画の中で作品たちはルーヴルのスタッフたちと一緒に美術館の裏舞台を闊歩する。ギリシャ彫刻のトルソが、エアクラフトに乗って大理石の床を滑走し、またある時は、小さな陶器が女性スタッフの手に抱えられ、地下都市のような秘密の通路を、しずしずとくぐり抜けていく。
 鍵を開けると、そこから先は美術館とは別世界。地下水道もあれば、牢獄のような部屋もある。また、エイリアンの宇宙ステーションを思わせるパイプだらけの通路もあったりする。普段は決して見ることのできないルーヴルの地下道や抜け道、隠し部屋の中に迷いこんでいく。それが実に心地よい。
 もともとルーヴル美術館は、800年前に要塞として誕生し、その後すぐに王宮として生まれ変わった。今でも知られてない通路や隠し部屋があるのは、そういうわけだ。美術館としてスタートしたのは1793年のこと。以後200年、ルーヴルは弛まなく増殖し巨大化していくわけだが、それは誕生から、この美術館が背負った宿命のようなものだ。
 ルーヴルを一度でも訪れた人は、誰でもその掴みどころのない巨大さに呆然とし、途方に暮れる。私も昨年、拙著『堪能ルーヴル』(まどか出版刊)の取材で、2週間ほど廻れる幸運を得たが、それでもこの巨大美術館の全貌は掴めず、ますますその迷宮から抜けられなくなったというのが正直な感想である。
 だからこそ、だろうか。映画『ルーヴル美術館の秘密』には、絵画のコメントはまったくない。それが実にいさぎよく小気味よい。
 フィリベール監督の焦点はもっぱら、展示を待つ作品群と、それを支えるスタッフに当てられている。レオナルド・ダ・ヴィンチの『岩窟の聖母』やラ・トゥールの『いかさま師』などの名画も、さほど名の知られてない作品も、展示前は仲良く床に置かれており、それが掃除機やパソコン、エアクラフトなどと一緒に画面に映し出される。時には、ほんの一瞬だが絵画よりも掃除機の方にカメラが向けられる。だが、そこには巨匠たちが古典絵画のマチエール(画肌)で、近代のマシンを描いような妙があり、何やらモダンアートに似た不思議な快感を覚えるのだ。
 絵画も彫刻も展示された状態で、はじめてアートたり得るわけだが、単なる『モノ』として置かれていた作品は、スタッフたちが動かすことで、はじめて息を吹き返し芸術としての輝きを放ちはじめる。
「引けー、引っぱれ。水平になるように!」
 幅12mを超える大作、シャルル・ル・ブランの『アレクサンドロス王の戦い』が、人力で引き上げられせり上がっていく。垂直に立った絵の裏からは、1人2人3人・・・出るわ、出るわ、数10人程のスタッフたちがカーテンコールのように溢れ出る。
 絵画のコメントはないが、最後に学芸員が彼の仕事をスタッフに説明する場面がある。
「ルーヴルは何度でも読む巨大な書物だ。時間のないツーリストに満足してもらうなら、モナ・リザとミロのヴィーナスだけ展示すれば良い。でも、それでは来た人に色々考えてもらうことはできない。見る人が迷って疲れても、それこそがルーヴルなんだ。作品を間引いて整理しても、それでは意味がない。なるべく多くの作品を展示したいんだよ」
 この映画を、あえて一言で言うなら『これがルーヴル!  これもルーヴル!』である。美術ファンならずとも、まさしく何度も繰り返し見たい1本に違いない。